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ロンドン建築学生ノート 初心者サラリーマンが、AAスクールで建築哲学を学ぶ

1.私の世界に、建築なんてなかった 2.Summer School 3.Driving your life  人生の舵をとれ!
4.AA is not a school AAは学校にあらず 5.I am what I produce 私がつくるものが、すなわち私そのものである 6.建築だけが、私のリアルだ<最終回>
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chapter2 Summer School
夏期講習という手もあるさ
大阪ガスインテリアデザインスクールSDコースの卒業制作は、遅々として進まなかった。いや、むしろ、手をつけることさえままならなかった。コースも終わりが近づき、卒業制作のテーマ(大阪天満宮界隈における<コンテンポラリーアートスクール(ミュージアム)>)が発表になったが、そのころ仕事のプロジェクトが大忙しになり、ホテルを転々とする日が続いた。厚生労働省教育訓練給付金を受けるためにはきちんと修了しないといけないのに、国内外を行ったり来たりでお手上げだ。不機嫌なビジネスマンとなった私は、それでもロンドンに立ち寄った際にAAのドアを再びたたいた。学校見学のアポをとっていたのだ。
その日はびしょびしょと雨が降るいやな日で、駅から学校へ着くころにはすっかり濡れ鼠だった。受付で暫く待つと、入学担当の女性が迎えに来てくれた。彼女は校内をゆっくり案内してくれたあと、実際の入学手続きについて説明してくれた。一般的な説明の後、彼女は付け加えた。「あなたみたいに、針路変更をしてやってくる学生も結構いるのよ。大変な決断なのはわかるわ。そうね、あなたと似た状況の学生たちを紹介するから、彼らと話をしてもいいし、それから、まずサマースクールに参加するのもひとつの手ね。それで気に入ったら本格的に勉強してもいいんだし。」
おお、夏期講習か。なんという名案なんだろう。夏の休暇をちょっと早めに取ればいいんだ。
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夏のロンドンへGO!
ようやく出張がひと段落ついたが、SDの卒業制作は、困難を極めた。時間はないし、知識と情報が絶対的に足りない。神様、もう建築家ゴッコはやりません、と泣きながらスチレンボードを切っていた。でも、そのバタバタ作った作品で、ありがたいことに、特別賞をいただいてしまう。コースを無事終了し、厚生労働省の給付金も入金された。それをサマースクールの学費に充てることにし、仕事を片付けると私はイソイソとロンドンに飛んだ。
サマースクールへの参加申し込みは、学校のウェブサイトに張ってある申し込み用紙に記入したものを送るだけだ。授業料(確か16万円程度)を振り込んだ後、担当者から確認のメールが来て、手続きは終了だ。誰でも参加できる。
ロンドン市内の学生寮の中には、夏期休暇中空き部屋を観光客や短期留学の学生に貸すところが多い。私が3週間の滞在先に決めたのも、それらの学生会館の一つだ。シャワーとトイレがついた清潔な個室が一泊朝食込み4500円程度だったと思う。さすが学生寮だけあって、机や本棚がついているので、持ってきた本や道具類も意外にきちんと片付いた。

7月半ばのサマースクール初日、約80名のひと夏の学友達が一堂に集まった。年齢も、国籍も、バックグラウンドも多彩なのに驚かされる。まあ簡単に言えば、AAを冷やかしに世界中からやってきた好奇心旺盛な連中だ。
3週間の短期間とはいえ、サマースクールでは通年教育のミニチュアのような構成になっている。ユニット制と言って、10名前後の学生がチューター(2名のことが多い)の指導の下で一つのプロジェクトを継続して行うのだ。
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ただの夏期講習とあなどるなかれ
summer school
summer school 
私はAA大学院を修了したばかりのスロベニア人カップルのユニットに入ることになった。
知識レベルも年齢も技術も語学力も様々な12名を束ねて3週間でプロジェクトを仕上げる指導をするチューターたちのエネルギーには脱帽だ。チームワークが得意な人も不得意な人もいる。毎週金曜日は講評会があり、プロジェクトの経過を発表、議論が行われる。のんびりする暇は全くない!昼間はサイトを歩き回り、アイデアを出して議論したり、模型の材料を買うためあちこち歩き回ったり。
それでも、一日中、何か描いたり作ったりしていていいなんて、天国だ。サマースクール第二週目、私たちのチームは二次元平面を折りたたむことによる空間構成のシステムを考えていた。「ランダムに折るのではだめなの。システムをつくるのだから。」チューター達と議論が続く。「つくったものは、きちんと記録をとるのよ。ホラ、そこの模型は写真とった?」恣意的にかたちデザインするのではなく、マテリアルの形態操作のシステムを構築し、それをプログラムにあわせて展開する。通常の建築学を納めて来た学生たちは、このアプローチに翻弄されているようだった。「こんなことやって、一体何になる?」アメリカ人のJ君は既にギブアップ気味だ。でも元々建築のつくりかたなど全く知らない私は、ひたすら手を動かしていればよかった。苦しい試行錯誤から思いがけなく新しい空間のフォルムが生まれる瞬間には心が躍る。
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You were born to be an architect
「最終講評会にザハ(=ザハ・ハディド Zaha Hadid)が来るって!」ニュースがスタジオを駆け巡り、学生達は色めき立った。たかが夏期講習といえど、AAには華やかな面々が出没する。しかし、興奮している間もない。あと実働できるのは約12時間。模型を仕上げ、その写真を撮り、プレゼンテーションを完成させなければならない。ロンドン在住の学生の家からプリンターが運び込まれ、グラフィックの仕上げが大詰めに入る。もちろん、ラップトップがクラッシュしたり、WindowsとMacでうまくファイルが交換できなかったりと、締め切り間際にトラブルが発生して頭をかかえるのは、どんな仕事でも変わりはない。何にせよ、言い訳はなし!講評会が始まった瞬間に自分の手の中にあるもので勝負するしかないんだ。


「君のチームの発表者はきめたのかい?」と講評会の数時間前にチューターのAが私に尋ねた。うん、J君がやってもいいって、と答えると、彼はじっと私の目を見て言った。「ねえユミ、君がやるべきだよ。」「ノーノー、私は建築知らないんだって分かってるでしょう?できないよ。私はあなたたちアーキテクトの言語を知らない。フカノウデス。」「そんなこと関係ないさ。このシステムは君が考えたんだ。君が喋るのが一番いい。OK?」私は腹をくくった。確かに、しくじったとしても、何を失う?ひと夏の建築とのアバンチュール中の私にはノーリスクの冒険じゃないか。
そして講評会は無事修了した。「ヨカッタよ!」とあちらこちらでウインクが投げられ、肩を叩かれた。やれやれ!そしてサマースクールの全てのカリキュラムは修了し、ベッドフォード・スクエアでお開きのパーティーとなった。3週間ともに過ごしたひと夏の級友や先生たちともお別れだ。私も翌日日本へ帰ることになっていた。でも、このままでいいのだろうか。「ねえT、私には、今からでも建築を勉強する価値があると思う?」私はチューターの一人に訊いた。するとTは、アハハと笑って答えた。「もちろんよ、ユミ!アナタは建築家になるために生まれてきたように見えるけれど!」


8月上旬に日本に戻ると、私は通常通りまたサラリーマンになった。会議と電話とメールのビジネスゲームを、無味乾燥なガラスの箱の中で続ける日々だ。ロンドンで別れる直前、チューターのAは言った。「もしちゃんと勉強する気になったなら、僕達でよければ、学校への推薦状は用意するからね。それから、3年へ編入願いを出すといいよ。」AAの事務局は8月後半まで夏季休業。「まだ今年は枠があるらしいよ」とロンドンを去る前に聞いていたが、どこまで本当なのかもわからない。そして、学校に入学してしまうということは、十数年のこれまでのキャリアに終止符を打ち、本当に新しい世界に飛び込むことを意味するのだ。ロンドンで、私は死ぬまで踊る赤い靴をはいてしまったのか?
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Chapter3 Driving your life  人生の舵をとれ!




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