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4月に、私は会社と夏に復職する約束をしていた。人員調整のため、この時期の決断が必要だったのだ。このままAAに残りたいという思いが強かったが、それを簡単に受け入れられないクールな考えが同時に存在した。結局、洋の東西を問わず、芸術系の仕事をやっていくには、a)長期にわたる親またはパトロンからの経済的援助、b)業界とのコネクション、c)極貧に耐えられる強靭な精神力と圧倒的な才能、のいずれかが必要である。これは絵でも建築でも音楽でもさして変わらないというのが今までのリサーチからの結論だ。AAに来て新たにわかったのは、
- AAのかなりの学生がaまたはbに該当する
- AAを卒業できた場合は、cをクリアする可能性がある
という二点だが、さて、現在の自分はどうだと考えたとき、現実は非常に厳しい。散々悩みぬいた後、私は非常にビジネスライクな結論に達した。会社に帰って自己資産のポートフォリオを立て直し、aに近づくべく経済的状況を整えることにしたのだ。そして、これにはひとつの重要な仮説が付随する。「私が本当にcをクリアする可能性があるなら、一旦日本に戻ろうとも、学び続けるための情熱とエネルギーを失わず、またロンドンに帰ってくるだろう。」
建築はとても難しい。だから私は自分を再びガラスのオフィスビルに幽閉して、自らの力をもう一度試そうというわけだ。これで建築を結局あきらめれば、それはそれでメデタイではないか?このエッセイの冒頭でも書いたが、その程度ならカーサブルータスかウォールペーパー誌を定期購読して、デザイナーズ・マンションでも買えばよろしい。
もちろん、ここには書ききれないほど多数の、その他の要因も存在した。当時の私のAAのスケッチブックには、残る場合と去る場合のよい点、悪い点が2ページ以上に渡りぎっしりと書き込まれている。これは、自分があらゆる可能性を検討したという記録であり、万が一何かの折に後悔しても、「このときはこれで正しい判断だった」と安心するためのお守りでもある。
そして決断がほぼ固まった夜、私はAAのバーで知人を捉まえては「お願い、私にオマエハ才能ナイカラ、トットト日本ニ帰ッチマエって言って」と頼んでいた。だれか一人くらい言ってくれるかと思ったが、やっぱり無理だった。他人の重大な決断に無責任に加担したいと思う人なんていないのだ。
会社は、ビジネスが好調で、安心して帰ってこいという旨のメッセージを送ってきていた。待っていてくれる上司に感謝しながら、夏に戻ると短いメールを書いて、泣いた。この日ばかりはさっさと布団をかぶって寝てしまった。
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